微力

涙があふれた。

 涙があふれた。

君のこと 好き、と 云えずに、ゴメン。

 

夜空が にじんだ。

 夜空がにじんだ。

君のこと 好き、と云えずに、ゴメン。

 

ムズカシイ言葉なら、考えつくけど、タヤスイ言葉の方が 云えない、って 思う。

 

ため息をついた。

 ため息をついた。

君のこと 好き、と 云えずに、ゴメン。

 

星屑がおちた。

 星屑が おちた。

君のこと 好き、と 云えずに、ゴメン。

 

ムズカシイ言葉なら、考えつくけど、タヤスイ言葉の方が 云えない、って 思う。

 

涙があふれた。

 涙があふれた。

涙があふれた。

 涙があふれた。

 

こんなことも云えないで、ゴメン。

 

(ストロベリー・フラワー「涙があふれた」より)

 

☆私の見解

・Aは、「君」ともう会えなくなってしまった。

・Aは、「君」に自分のたいせつな気持ちを、言葉にして伝えることが出来なかった。

・Aは、「君」が居ないこの場所で、自分に素直になる。

 

☆表現とレトリック

夜空がにじんだ

→目に涙が溜まっている所為で、夜空がよく見えない。

 

ゴメン

→単に告白が出来なかったのならば、謝りたい気持ちにはならない。とすれば、「告白できなかったこと」が「君」との別れを不本意なものにしたのではないだろうか。Aは今でも、告白が出来なかったことを後悔していると考えられるだろう。

 

ムズカシイ言葉↔タヤスイ言葉

→ムズカシイ言葉は、今までAが信用してきた言葉、あるいは、価値を感じていた論理的で知的な言葉。タヤスイ言葉は、主観的で、直截的で、Aにとっては価値を見いだし得ず、羞恥さえ感じていた幼稚な言葉。Aは「君」との不本意な別れにより、こうした考えが少しだけ、それでもたいせつな差異が更新された。

 

星屑がおちた

→星の最期。Aと「君」との別れを思い出しているのではないだろうか。

 

こんなこと

Aは、意識的か無意識的かは判らないが、「君」に好きだ、と言うことがいつでも出来る、簡単でそれほど重要でないことだと捉えていた。そして今、それすら出来なかった自分の微力さを噛み締め、もう届かない「好き」と「ゴメン」を言葉にしている。

 

涙があふれた

→君に対する申し訳なさと、自分の矮小さを感じた。だから泣いたのではないだろうか。

微力

 中学校の掲示板に「我々は無力ではない、微力なのだ。」という言葉が書いてあるのを見てから、それが今でも、忘れられません。他者から好きな言葉は何かと訊かれると、真っ先に思い出す言葉がこれなんですが、まァ、失笑ですね(苦笑)。人間の知恵と技術と科学が至上のものとされて近代化が進められて後、戦争・紛争や公害や、いくつかの自然災害なんかが起こって、やっぱりヒトってそこまで強くないと思う人は少なからず居ると思うのですが、そういう経緯がなければ、そんな当たり前のことに気づかなかったり、あるいは気づけなかったりするというのは、それもある種、人が微力だと言うことを感じさせてくれます。せいぜい生きられても百歳だし、がんばっても一馬力だし、病気にはなるし、騙されるし、テスト勉強はがんばれないし、ちょっとしたことでイライラするし、簡単に諦めるし。「人は考える葦」とはよく言ったものです。

 ただ、微力である、ということは、それを積み重ねれば力になり得る、と言うことでもあります。おそらくこの言葉に関して私と冷笑う他者とで見解が分かれるのは、私が彼らと違う視点に居るからなのでしょう。漫画や小説で、弱いと判っているけど、ちっぽけな勇気を出して何かに立ち向かうキャラクターが好きで。どん底にいても上を向いて星に気づけるのは、今までの人生を踏まえて、本当の意味で自分を肯定できるかどうかにあるのではないでしょうか。尊敬できる人に出会えること、今まで成し遂げてきたこと、誰かからたいせつにしてもらったこと、誰かから愛されたことーーそういうあたたかなものを所有し、それらに意識的である人は豊かであり、人間らしい人と思えてなりません。過言ではありますが、私はそれこそ強さ、なのかな、と考えています。

 本詞でも、Aが自分自身を微力であることを痛感しています。そこで、自らの気持ちに素直になり、謝る気持ちになれるということは、確かな成長だと私には感じられるのです。勿論微力を積み重ねる上で、また別の思い上がりも生じてくるのでしょうが、一度そういう経験をした人なら、手遅れになる前に自分で、あるいは周りの誰かから道に気づくよう施してもらえるのだと、なんとなくそう感じてしまいます。

 

2018年8月11日 ばろっくどーなつ