黄昏

降り注いだ 冷たい雨、青い傷を 溶かしていった。
いつか見ていた 夕暮れ空の 隅っこで笑う 誰かが居た。

 

気づかないうちに オトナになって、
綺麗な嘘 口に出来るほど、
いろんな痛みを覚えてきたけど、
それでも、まだ 痛いんだ。

 

夕暮れの、涙が出そうな 赤。
私の中の君を 溶かして しまえ。

 

Φ

 

私の身体中 君の傷跡で あふれているから、もう 進めない、よ。

 

ねぇ、消えて。
消してよ。
そう、願っていたのに、

 

どうして こんなにきつく 抱き締めているの?

 

Φ

 

君の声が遠くなる、呑み込まれそうな 赤。
きっと このまま 君を溶かして、夜になるだけ。

 

淡く染まる指先に、零れ落ちそうな 赤。
私の中の君を 奪ってしまう。

 

ちぎれていく 雲間から、あふれだす 涙。
少しずつ滲む 君に、ぎゅっと しがみついた。

 

(keeno「glow」より)

 

☆私の見解

・「私」と「君」は、はなればなれになる。

・「私」は夕暮れを前に、「君」のかけがえのなさに気づく。

・「私」はありのままの自分に、どうしようもないほど素直になる。

 

☆表現とレトリック

冷たい雨

→不意に降り出した「私」にとって、不幸とも幸いとも呼べる雨。「私」は冷たいと感じているが、悲しみに寄り添う意味で慰めとなり、「私」を冷静にさせてもいる。後に訪れる夕焼けの赤を際立たせる。

 

青い傷

→青は、不完全性や若さを表す。少なくとも「私」は、青い、と捉えていて、どこか恥ずべきものを感じる過ちと考えられる。

 

夕暮れ空の隅っこで笑う誰か

→以前の「私」と「君」の微笑ましい想い出。今となっては「私」に辛さをかき立てるものである。

 

夕暮れ・赤

→夕暮れは、一日の終わりである。本詞では「私」に「君」と、「君」との別れを感じさせるものでもある。「私」は少しずつ沈んでいく夕焼けにだんだん気持ちが変化していく。

 

君の傷跡

→「君」との複雑な味わいのあるかけがえのない想い出だろうか。他者から見れば肯定的に捉えられなくても、「私」からすれば自らを支える拠り所である。別れによりこれらは「私」のこころを辛くさせる。

 

淡く染まる指先

→君との別れに、手を伸ばして受け止めようとしている。その甲斐虚しく、夕焼けはどんどん沈んでいく。

 

溶かしてしまえ(涙が出そうな赤)→きっとこのまま君を溶かして夜になるだけ(呑み込まれそうな赤)→私の中の君を奪ってしまう(零れ落ちそうな赤)→少しずつ滲む君にぎゅっとしがみついた(ちぎれていく雲間からあふれ出す涙)

→冷静とも、投げやりとも思える心情から、君のことを忘れる、あるいは振り切ろうとしているが、夕焼けの前から動き出すことが出来ない。そこで改めて、「君」の存在と「君」との想い出が「私」と不可分になってしまっていることに気づく。それでもやがて忘れゆく、色褪せゆくであろう別れに儚さを感じとり、もう届かない君の面影を抱き締めている。「私」は夕焼けの赤にすべてを擲げこもうとしたが、その赤は自分のうちに押さえ込もうとしていた感情そのものであろう。

 

黄昏

 きーのさんとの出会いはとある歌い手さんのアルバムに入っていた「crack」を聴いた時でした。「嫌、だよ。この糸の先には、君以外居ちゃ、いやだ。」と、感情が炸裂したかのような歌詞があるんですが、勿論歌い手さんの歌もさすがなんですが、こういうストレートな気持ちを心に響かせるあたり、素晴らしい表現力だな、と偉そうに思ってしまいました(笑)

 きーのさんといえば、やはり歌詞に出てくる色の表現と失恋と傷の表現抜きでは語れないでしょう。失恋と傷に関してはまたどこかで言うとして、やはり色。人はイメージする際に意外と色に関するウエイトは大きくて。きーのさんの楽曲にグッと引き寄せられる引力があるのはこの色の使い方が絶妙だからなのかな、と思ってしまいます。

 正直云うと、「glow」は最初ピンとこなくて、あんまり聴いていませんでした(笑)ただ、それでもカラオケなんかで歌っていると(DAMには入ってないので稀に選ぶJOY機種で稀に歌っていました)、妙に心地よく力が入るので不思議だな、と。確かに聴いて、そのファーストインプレッションってとてつもなく大事なんですが、それだけではないんですよね。まァ、感性豊かな人ならば初見でそこまで見抜く洞察力があるのかもしれませんが、私はニブチンですから(笑)これからも聴いて歌って、謙虚に味わっていこうかな(苦笑)

 

2018年8月12日 ばろっくどーなつ